喜びと恐怖。興奮と冷静。

ラソン完走熱はちょっと冷めました。 マラソンを走ると人生は変わるとか、そんなこと思っていませんでしたが、2004年11月7日に何が起きたのか、っていうのは、きっと今ではなく、1年後とか2年後、5年後10年後の自分をみて初めて分かるものなのだと思います。 その時も、ランニングを続けていたいなぁ。


心理的には、なんというか、「私もランニングしているんですよ」 と話せるようになる!と思っています。 今までは、とても他人には話せなかったから。 (マジ) そんなに距離走ってないし、レースもプチレースでビリばかりでは、恥ずかしくて、なんだかねぇ。 これからは、自分の趣味のなかに、ランニングっていうのを入れて 答えられるようなそんな気持ちはあるなぁ。 (ふふっ)


レースとかイベントが大好きな私は、なんだか同じ趣味を持つ人とか、それから 「一緒に○○へ行こうよ」 なんてことに賛同してくれる人がいると、もー楽しいわけです。 ランニングも最近では友だちと呼べる仲間がちらほら。 本当に仲間が増えると世界が広がるというか。 楽しみの大きさも増えて、そういう意味では人生変わりそうです。 だからフルマラソンを走ったことではなくて、マラソンを走ろうとして走っちゃうまでのすべての過程に関わることが その人の生活の巾や行動半径も変えてゆくから、マラソンを走ると人生が変わるというのは、そういう意味だと今は思っています。


今回の私の42.195km は、恐怖との闘い。自分の自信のなさとの闘いだった気がするから、怖くても、心細くても逃げないで、とりあえず行ってみるということを、この臆病者の自分がした、という所はなんだか嬉しかったし、小さな小さな自信につながったかもしれません。


冷静に考えると、無謀だった今回の挑戦。 過去のレースでは、他人の走りに吊られて前半の2,3km で撃沈してしまったりした私が、今回は冷静に冷静に自分の体力を考え、自分の呼吸を聞いて、「抑えて抑えて」 走ることができたのも、嬉しかったな。 それは、先週、手賀沼を経験していたからだと、いうことが大きいんと思うけれど。


前のレースの失敗や、後悔を覚えていて、少しは生かせたのかもしれないと思います。 ですから、レースには出ないよりは 出る方が、本番に強くなれるということはあるかもしれませんね。


ラソン完走の話を、誰かにしたくって、したくって。 聞いて欲しくて、聞いて欲しくて。 そんな気持ちになったのも、遠い子供の時 以来のような気がします。 この年になって、一時でも嬉しくって、ちょっと有頂天気味のハイパーなお調子者に、5日くらいなっていました。 私の餌食になった皆さん、お疲れさまでした。(ククク)


これからは、体力アップを目指して しばらく走ろうと思います。 メニューはちょっと考えて、今までの距離よりは走れるようになれるように。 明日ではなく、あさってではなく、半年後の自分が少しは、長く走れるようになっていたら。 目標はハーフマラソンをいい感じで、歩かないで走りとおせる体力。


大いに食べて走って、精進してみたいと思います。