瞑想の境地

Snowboarding To Nirvana     by Frederick Lenz   (1997)
7年前に友人に貰った本を今読んでいます。
自分の本棚を整理していたら、読んでいない本が何冊も出てきたのでした。(汗;)
で、気付いたんだけど、7,8年くらい前の本って、今読むと もう面白くなかったりするのです。 話題の本は「今すぐ 読みなさい」 っていうことでしょうか。


話がそれました。 この本は逆パターンでした。7年前に読んでも自分にはつまらない本だったと思うのです。 でも、今の私には面白いんです。 7年前は まだスキーしていなかったから。 これは、スノーボードを担いで、ヒマラヤへ行った・・・という話なんです。 で、厳しい雪山でのボードの訓練の話かと思ったら、思いっきり スピリチュアルな内容になってきました。 「仏修行こそが、ボードの技術を高めることに必要である!」 ほほうー? って感じでしょ。


ランニング関連(中・長距離)の本では、走ることが、肉体的な鍛錬だけでなく、精神の鍛錬でもあると書いてあるのを読んだことは何度もあるのです。 精神修行っていうと大袈裟だけど、瞑想に近い効果がある。 つまり、ストレスの発散、精神の活性化、意識の覚醒など。 (Sheehan も同じようなことを書いています)
でも、雪遊びを極めるには精神修行ありき!と言う本に出会ったのは初めて〜!!


アメリカ人、世界レベルのスノーボーダーが、究極の斜面を求めてヒマラヤに行くこの話。 ヒマラヤで、仏門の僧に出会います。で、この老齢の坊さんが、達人級のボーダーだったりするのです。 「 ヒマラヤ 」 ですよ。 「 バージン・スノウ 」 ですよ! 誰一人いないような山肌の雪斜面を降りていくと、後ろから気配が…。振り向くと、F僧侶? いや、誰もいない。 この本はシリーズ第2冊目なので、著者がF僧侶に出会ったシーンはないのですが、ヒマラヤの処女斜面を2人で降りるのを楽しんだ…。 それを回想するようなシーンが冒頭にあります。
ここで魅了されてしまいました。
そのイメージを 「 きりん語 」 で書いてみると… (↓)


ちょっとでも気を抜くと足をとられてしまうような斜面。
全神経を集中させながら、雪面を感じて滑降するそのスリル。
瞬間、身体の感覚が研ぎ澄まされていくのを感じる。
そしてほんの時々、F僧侶はどこだろうか?と意識する。
が、次の瞬間、足元に再び意識を集中させなければならない。
ようやくスピードを緩められた時に、後方の気配を振り向くと、
F僧侶が遠からず降りてくる。 ゆっくりと。
いや、ゆっくりと降りてくるように見えるが、
自分と同じくらいのスピードで 攻めているはずだ。
優雅なそのシルエットに見とれながら、また自分も降りはじめる。
まったくの静寂。 聞こえるのは滑走音だけ。
言葉を交わす必要がなかった。
お互いに、果敢に斜面に挑みながら 時にお互いの姿を確認するだけ。
僕たちは出会い、滑り降りながら、これ以上はない最高の会話を楽しんでいた。
とても親密で濃厚な会話を。
そして、滑リ終えた時、互いのことを充分すぎるほどに理解していたのだった。



(カックイー!!)

まだ1/3 しか読んでいないのですが、後半は、著者のスピリチュアルな出会いと、悟りを手に入れる為の修行…のようです。
仏修行での瞑想の境地に達することを習得できれば、自身の身体とボードが「完全にひとつ」になる技術的境地に達することができる。 そして、究極の斜面でボードを自在に操れるようになる!というのです。
ま〜じ〜??

私もヒマラヤ行かなきゃ〜!!